一口メモ
一口メモ
一口メモ・ぽふらとなみきを10月末で退職します。
2013-10-30
ぽぷらとなみきの職員研修担当職員として1年7か月働かせていただきましたが、私が理事をさせてもらっているNPO法人の小規模デイと居宅の管理者が退職することになり、急遽そちらの応援に行かなければならないことになり、10月末で退職するになりました。それにより一口メモは今回で終了させていただきます。
「ぽぷら」と「なみき」の職員の皆さんへ
1年と7カ月の短い在職期間でしたが、ありがとうございました。私自身、本当に色々と学ばせて貰った最後の特養にぽぷらとなみきはなりました。私は、来年介護保険の1号保険者になります。最近は自分でも分かるほどに、物忘れが酷くなっています。また腰痛も酷く、誕生日が来ましたら直ぐに介護認定を受けたいと思っています。
さて、最後にもう少しユニットケアについて書き残しておきたいことがあります。ユニット型特養は平成16年4月からスタートして9年間で全国に2000を超えるユニット型特養が誕生しました。しかし、ユニット型特養はユニットケアが出来る建物構造になっているだけで、ユニットケアを実践している特養は滋賀県でも、全国的にも少ないと感じています。
ユニットケアは10人以下の家庭的な人数で、できるだけ家庭に近い生活を過ごすことを目的にした「ケアの手法」なのです。その中でも大きなウェイトを占めるのが入居者の食生活です。入居者・利用者と職員が一緒に作り、一緒に盛り付け、一緒に食することを基本に、それがどこまで出来るかを追求するのがユニットケアの大きな課題と考えています。
また入居者・利用者の「したいこと」「したかったこと」「してきたこと」を再現する個別ケアも重要な柱です。さらには地域行事にどれだけ参加しているかも大切なことです。
これらの実践の表れは「しつらえ」に出てきます。入居者・利用者が落ち着けるユニットリビング作り、居室作りに表れるのです。多くの特養はユニット型・多床室型問わず、職員が働きやすいことを第一に考え、しつらえが作らています。
21世紀の老人介護施設は特養、老健施設、グループホーム、デイサービス、小規模多機能施設問わず、入居者本位にしつらえは作られるべきなのです。ところがしつらえ作りについては「老人は変化に馴染まない」ことを理由に新築当時の状態が継続し、何の工夫も努力もしない特養の職員が多くなっています。
ぽぷらもなみきもしつらえについてはもっともっと先進施設に学ぶ、学習する必要があると私は思っています。食生活の取り組みや個別ケアの取り組みとしつらえ作りは相乗的であるべきなのです。
滋賀県のユニット型特養でユニットケアを実践しているモデル施設にすることを目標にして、ぽぷらとなみきを引き上げ、理論化する職員に職員の皆さんがなって下さることを信じて、私はぽぷらとなみきを卒業していきます。
施設長を初め職員の皆さんには本当に感謝しています。心から御礼を申し上げます。職員の皆さんが健康に留意され、入居者本位の特養に邁進されることを期待しています。
2013年10月末日
髙井 時男
一口メモ・全国シンポ開催迫る!
2013-10-04
「第8回 社会福祉の原点と地域密着福祉を考える
全国シンポジュームin島根」開催間近に迫る!
第7回は今年の1月に京都で開催された「社会福祉の原点と地域密着福祉を考える全国シンポ」が島根県出雲市の「ニューウェルシティ出雲」で10月24日(木)~25日(金)の両日開催されます。私は第2回の愛媛県松山市から毎回参加し、多くの学びを得てきました。
この全国シンポはグループホームや小規模多機能施設の始祖とも云われている「ことぶき園」の槻谷和夫理事長と佛教大学教授の永和良之助先生が中心となって毎年開催されてきたものです。福岡市から始まり、松山市、出雲市、広島市、出雲市、滋賀県守山市、岡山市、京都市と回を重ね、第8回となりました。
24日の1日目は元日本女子大学教授の「小笠原祐次」先生が「「社会福祉の原点と地域密着の意義」と題して基調講演をされ、期待が高まっています。25日、2日目の長野県泰阜村の地域福祉課長「池田真理子」の講演は「必要に応じて必要なサービスを提供」と題して「介護限度額の無い村・長野県泰阜村の医療と福祉」の講演も聴くことが出来ます。全国から多くの参加者で盛り上げたいものです。
高井流 ユニットケア談義 シリーズ97
2013-09-13
約、1ヶ月ぶりの更新となりました。もう少しユニットケアについて述べてみたいと思います。
少ないユニット職員で10人の入居者の個別ニーズを実現していくには様々な困難に直面します。
例えば、2人しか勤務していないユニットで入居者が「たこ焼きを買いに出かけたい」との訴えがあれば、先ず「行きましょう」と答えるべきと、私は考え実践してきました。無論自分のユニットには2人の職員しかおらず、1人の職員は今から入浴の介助があるとします。見守りのために残らなければならない時は、代わって買い物に付き添ってもらえる職員を探すのです。相談員、栄養士、事務員、運転手さんなど、先ずニーズ実現のために動くのです。
基本的に高齢の入居者には「明日は無い」と考えニーズを実現し、「明日は今日よりもっと楽しいことが出来る」と入居者に思って貰おうと考えての行動です。1992年に尼崎市の特養「喜楽苑」を退職して以来、ずーっとこの姿勢で特養で働いて来たのですが、失敗もあります。
今から、9年ほど前に、東近江市の既存型特養で働いていました。その特養に両足切断した86才の男性の入居者がおられました。その男性は。認知症はありましたが軽度認知症の方でした。2月の中旬だったと思います。朝、出勤するといつも施設内を先ず、私は巡回しますので、その時に私と顔を会したその男性のOさんは、「おい、わし寿司が食べたい、握りずしが・・・」と話されました。私は、「今日は朝から随分と寒いので、もう少し暖かい日に行きましょうや」と答えてしまいました。その夜、Oさんは高い熱を出し、救急車で運ばれて入院となり、3月の上旬に病院で亡くなってしまわれました。私は随分と後悔しました。多少寒くとも暖かくして、お寿司屋さんに行くか、買ってくるべきだった」と…。
「入居者のニーズはユニットを超えて実現する」「高齢であればあるほどニーズは早期実現」という考えが鈍っていたのです。私が学んだ尼崎市の喜楽苑の職員なら、こんな失敗はしなかったと悔い、Oさんに対して今も「申し訳なかった」と反省しています。
一口メモ・高井流 ユニットケア談義 シリーズ96
2013-08-19
一口メモ・特養や老健施設は逮捕監禁罪からの開放を!
認知症のお年寄りが、利用するデイサービスでも利用期間中鍵を掛け、自由に戸外に出られないようにしているところがあります。認知症のお年寄りが5名から9名で暮らすグループホームでも良く見かけることです。回廊型の特養や老健施設でも、施設玄関にはテンキーや三点キー、あるいはタッチキーは入居者や利用者が手の届かないところに設置し、鍵を掛け閉じ込め、施設内を一日中歩き続ける姿が見受けられます。そういう閉じ込めをしている施設管理者や職員は、認知症老人の「安全」を第1の口実にして、「認知症になったら歩くのが好きだから」とか、「認知症になったら徘徊する習性が出てくる」などと云う人がいますが、明らかに人権侵害と考えています。
「徘徊」とは「目的も無く歩き続けること」「当てもなく歩き続けるさま」を意味しますが、ほとんどの認知症のお年寄りは徘徊などをしているのではなく、目的があり、その目的は「自分の家」に向かって歩き続ける認知症老人が多いのです。
特養や老健施設で暮らす認知症のお年寄りは施設内の同じ景色を何度見ても、すぐに忘れるから認知症老人はいくら歩き続けても、着く筈のない自宅に向かって歩き続けるのです。
そんな認知症老人と関わりを放棄して、歩き続ける行為を放置している老人介護施設の職員や管理者は、認知症のお年寄りに対して人権を無視し、むしろ拷問を課している行為と同じと思うのです。
鍵を掛けることによって「自由に外に出られない」という職員の安心感が「家に帰りたい」という認知症老人の思いに対して関わろうとする意欲を先ず喪失させるのです。回廊型でない施設は施設玄関入ったところに事務所がありますから、事務員が認知症老人に一番多く関わり、認知症老人対応の一番うまい職員になることも往々にしてあるのです。
誰が考えても我が国では大人になった成人に対して、鍵を掛け、閉じ込め、自由を奪うことは許されない人権侵害なのです。それが許されるのは法を犯して刑罰の為に拘束することが出来る「刑務所や拘置所」と他者に危害を加える恐れのある精神疾患の患者を入院させることが出来る「精神病院の閉鎖病棟や保護観察室」、そして「法定伝染病の患者」位のものの筈です。
日本では、上記以外の大人に対して鍵を掛け閉じ込めたら、逮捕監禁罪と云う罪名が付けられ、罰せられます。認知症のお年寄りは「家」や「職場に行きたい」だけのことなのです。2004年迄開設され続けた多床室型の既存の特養も2004年から2013年迄の全室個室型のユニット型特養でも玄関に鍵を掛け、認知症老人を閉じ込めている施設を見うけますが、もし、認知症のお年寄りが法的に訴えれば、鍵を掛け、自由を奪い、閉じ込めている特養などの「老人介護施設」はいくら「安全のため」と云えども原則、監禁罪に問われると考えています。
ぽぷらとなみきの職員は、帰宅願望を強く訴え、歩き続ける入居者・利用者に積極的に関わり、納得し、利用したり、住み続けて貰える対応をしていきたいものです。
一口メモ・老人介護施設で働くことに誇りを持とう!
2013-08-14
一口メモ・「老人介護施設で働くことに誇りを持とう!」
7月22日に入職した職員が、8月に入り、無断欠勤を続け、今日、8月13日に施設に出てきて、8月12日付けの退職届を提出しました。施設長と同席して色々と本人から話を聴きましたが、以前働いた老人介護施設でも無断欠勤をしたことがあると話していました。26才の男性でしたが、施設から退職届を提出するか、この間の事情を報告するために出勤することを要請した郵便物を送付したところ、彼の母親から、施設長宛に謝罪の電話が8月12日にあり、母親は深く謝罪されたとのことを施設長から報告を受けた結果の今日のことでした。
ぽぷらからの電話連絡を無視し続け、無断欠勤の結果の退職などは、社会人としての基礎が欠落していることを指摘し、次の職場では今回のことのようなことをしないように諭し、退職届の受理を施設長はしました。
このような職員は論外ですが、社会福祉施設で働く職員は「生活のため、給料をもらい続けるためだけを目的に働き続けるなら社会福祉施設職員としての使命も誇りも感じられない」と私は思うのです。
ということは「社会福祉」の持つ意味をしっかりと理解しておくことが必要と思うのです。社会福祉という語句は「社会」と「福祉」という語句から成り立っています。「社会」の意味は「人間の集まり」とか、「人間の集団の営み」という意味があります。「福祉」は「幸せな状態の意味」です。ということは、「社会福祉は人間集団の営みの中で幸せでない人を幸せにするということ」です。
幸せでない状態とは、本人がどう思っていようと関係なく、生活保護の受給者、児童福祉の対象者、知的障害や身体に障がいを受けている人、母子家庭の女性、更には要介護のお年寄りを指し、その人達を日本国憲法で保障された、健康で文化的な最低限の生活を営めるように援助し、生活を保障することなのです。しかし、今の日本は社会福祉の対象者の人権を積極的に守ろうとしないばかりか、むしろ追いやる政治が横行していることに怒りを感じます。
人間は、人として生まれてきたからには、どんな状態であっても最後まで人として全うする権利を有しているのです。それに従事するのが社会福祉労働なのです。重い障がいを受けても、幼い乳幼児でも、老いても、どんなに困難な状態になっても、人は人としての尊厳を守られるのです。そのことに使命感や誇りを持つことが出来ることだと思うのです。
その結果、自分たちの生活の維持の為に報酬を得ることが出来るのが社会福祉労働だと思うのです。
まして「老人福祉」の場合は、どんな動物でも親は子を大切にしますが、生み育ててくれた親に対して、親が老いた時に食事の世話をし、清潔を保ち、排せつ物の始末までするというのは人間だけしか出来ない行為です。いわば「老いた親に孝行するのは人間であることの証明」なのです。
少子高齢化の社会はまだまだ進行していきます。1人息子と一人娘が結婚して4人の老いた親の世話が出来ない社会が進行していくのです。そういう意味では親孝行を社会的にする時代と思うのです。
特別養護老人ホームをはじめとする老人介護施設は、「親孝行施設」でなくてはなりません。人間が、人間として証明できるのは親孝行だと思います。
ぽぷらとなみきの職員は「人間としての尊厳を守り、こだわった介護」を展開し、老人福祉施設で働くことを誇りにしたいものだと思います。