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一口メモ

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高井流 ユニットケア談義 シリーズ26

2012-11-19
「ユニットケアはグループホームケア」 
かって、竣工式に出席させていただいた京都府の丹後半島にある新型特養、第二丹後園では2ユニットに1人の調理員を配置し、ユニットで三食調理をしている新型特養です。滋賀県内でも野洲市にある悠紀の里が同じ取り組みをしているそうです。この悠紀の里は、私が2002年から2年間働かせていただいた特養です。
私は「第ニ丹後園」には過去3度、それぞれの職員と共に視察研修させて頂きましたが、ユニットリビングに調理員を配置し三食をユニットリビングで調理し、入居者に提供されていました。入居者の方がジャガイモの皮剥きや三度豆の鞘取りなどはお手伝いをされていました。見学させて頂き「これこそが、これからの特養の食事のあり方」と感じました。
2年前まで働いていた福井市のユニット型特養では、2009年に2単位の認知症対応型「グループホーム」と、小規模多機能施設を開設しましたが、特養の8つのユニットで毎月のように職員が取り組んだ調理実践を生かし、毎日午前中に食材を近くのスーパーで購入に入居者と出掛け、毎日3食を入居者、入居者と共に作り、職員も共に食する取り組みを始め今も継続していると思います。
「小規模の老人介護施設は調理は入居者と職員が…」
 最近、滋賀県内や京都市内の小規模多機能施設やグループホーム、デイサービス等も数か所見学させて頂きましたが,弁当屋と契約して食事の提供したり、炊飯はしても副食は本体の特養から運んでいるという所も結構ありました。
 小規模の老人介護施設は食に関しては入居者、利用者と職員が共に調理して、一緒に食べる、共に生活するという視点が大切と思うのです。小規模施設だから出来るのではなく、大規模施設でも小グループの生活単位に分かれ、職員を固定して「共に暮らす」という取り組み、ユニットケアを導入することが大切と思うのです。そういう意味では「ユニットケアはグループホームケア」と呼んでも、おかしくはないと思います。
「生活全般の援助、支援が介護職員の役割」
 そういう意味では、これからの介護職員は入浴、食事、排せつの三大介助だけでは駄目なのです。入居者の生活全般にわたっての援助や支援、一緒にするということが出来ないと駄目だと考えるのです。とりわけ「食」に関して入居者、利用者と共に「一緒に出来る」ことが重要と思います
 

高井流 ユニットケア談義 シリーズ25

2012-11-15
一口メモ・ユニットケア談義「三大介護をユニットケアに」シリーズ 25
「外食外出も自由に、夜の居酒屋通いも・・・」
 私が福井市のユニット型特養から強い要請を受け、単身赴任したのは2007年の春でした。この新型特養は2006年までは福井市の東部の山間地の山の中腹の多床室型特養でしたが、福井市の山の中腹から市街地に新築移転した特養でした。1992年から延べ約5年間、多床室特養の時に相談員として単身赴任した特養でした。その時には食事については選択食を導入するなど「食」にこだわった取り組みをしていた特養でしたが、全室個室のユニット型に変わった時から、食に関しては大きく後退していました。食材費が異常に低く、平然と事務職員が「まずいから食べない」と公言する施設でした。
2007年に赴任した当初は、「職員は施設食を食べてはならない」というように後退していました。多床室特養の時は、施設長自らが副食を二種類から選べる選択食を導入されるなど、こだわった食事を入居者に提供していましたが、業者委託にしてから、選択食は廃止となり、食にこだわることは無くなっていました。理由は委託業者の経費が高くつくというものでしたが、赴任直後に「職員が入居者を介助しながら一緒に食するのがユニットケアの食事の在り方」と施設長に説得すると一応納得され、「希望する職員は食べても良い」と云うことになりました。私が赴任するまでは経営コンサルタントが入り込み「効率」「原価意識」が盛んに云われていた施設でした。買い物外出やボランティアの受け入もコンサルタントの都合に合わせ、計画していた行事は当日にキャンセルするのは常時と云うような有様でした。経営コンサルタントは、直ぐに契約解除としました。非常勤職員やパート職員が正職員より圧倒的に多いという職員配置で夜勤専任職員を配置しているというような運営がされている現状改善に努め、夜勤専任職員の配置は2年要して廃止にしました。
「ユニットケアは個別ケア」ということが職員に浸透していく中で、昼食は入居者と同じ食事を注文し、食する職員が増え、食事介助しながら職員も食べる光景が普通になりました。2010年の春に退職しましたが、食事内容について劣悪な食材費の改善が出来なかったことが今も心残りとなっていますが、夜の居酒屋での夕食外出、外食外出や買物外出、一泊旅行などは自由に出来るようになったのです。

高井流 ユニットケア談義 シリーズ24

2012-11-14
「入居者の楽しみは食べること」
特養や老健施設施設で暮らす入居者の最大の楽しみは「家族、知人」の面会です。次いで、「食事」「入浴」「外出」と続くという内容のアンケート結果を過去に読んだ記憶があります。このことは実際、特養で働き3年が過ぎました。この間、北陸の福井市の特養でも働きましたが、関西も北陸も変わらないと実感しています。施設や職員の工夫、努力で直接変える事が出来るのは入居者のニーズに基づいた「食事のあり方」「食事の内容」「入浴の工夫」「頻繁な外出」です。
 
「入居者と同じ食事を食べながらの食事介助に」
介護現場のトップの姿勢が直ぐに入居者の「食」生活を変えたという経験を私は8年前に赴任した滋賀の特養で経験しました。その施設では夜勤勤務にも就いている介護課長が「入居者と共に生活するというなら同じものを食べ、そして介助をしたい」と提案したのです。一部の職員は「休憩時間がなくなるのでは…」「お年寄りと同じものでは満腹感が得られない」「食べた気がしない」などと反対の声も上がりましたが、多数の職員の賛成で実現しました。すると「味が薄い」「甘すぎる」「硬い」「柔らかすぎる」など職員の声が上がり出したのです。このことは現「ぽぷら」と「なみき」も同様です。
その特養ではショートステイを含めた63名の入居者を三つのグループに分け、当初は介護職員室や廊下、狭いセミパブリックコーナーなどを活用し、ユニットリビングを作り、入居者と職員の共同生活が始まった感じがしました。8年前の20043月には最後まで入居者と同じ食事を食べることに抵抗した3人の職員は「施設の食事はまずい」「入居者の使った食器は不潔」「350円の食事代金は高い」という差別的な理由を陰で職員間に広めていた職員でした。この3人の職員が退職してからの滋賀のその特養の「食」に関しての改善は大きく変わって行ったのです。毎月開催し始めた施設内研修会で私が「施設で暮らすお年寄りの大きな楽しみは外出もある」と話すと、積極的に外食外出を取り組み始めたのもこの頃でした。入居者の家族にも呼びかけ、共に外食外出に出かけることも多くなったことを思い出します。この施設の変化は短期間に本当に大きいものがありました。入居者の家族を誘い、入居者と一泊旅行にも取り組んだり、希望する入居者に夜間入浴実施をする取り組みも始まりました。また施設入居者が民家へ日中通い、1日を過ごし昼食を職員と一緒に調理をするなどの「逆デイ」も介護現場の課長が提案し、入居者の生活は一気に豊かになっていきました。職員も自分たちが入居者の希望を訊き出せば実現することに働き甲斐を感じているようでした。
 
「白衣では管理栄養士は生活の場、ユニットリビングに入らない」
白衣でユニットリビングや居室に管理栄養士は入らないように変わって行きました。厨房では白衣で調理していても入居者の生活の場へ入る際には白衣を脱ぐようになったのです。また、入居者が食事の盛り付けをする際にはマスクと手袋をしつこく迫っていたのが、確実な手洗いの励行と箸やスプーンの使用することに変わったのです。看護職員も私が赴任するまではワンピースの白衣のユニホームでしたが、「白衣のユニホームは廃止して普段着姿に改める」と宣言すると、普段着に変わりました。私はこの施設には3年余り勤務し、強い要請を受けて福井市の新型特養に職場を移したのです。

一口メモ・嬉しい広報誌2通を読んで

2012-11-13
一口メモ・嬉しい広報紙が届けられました!!
 毎月、出雲市のことぶき福祉会より2通の広報紙を城陽市の私の自宅に郵送して頂いています。昨日、11月12日、私が理事をしています小規模デイを運営しているNPO法人の利用者の一泊旅行の運転手ボランティアから自宅に戻りますと、広報紙2通が郵送で届けられていました。すぐに読ませて貰い、本当に嬉しく思いましたので、ことぶき福祉会の理事長槻谷和夫氏に電話で許可頂きましたので再掲します。
 
社会福祉法人ことぶき福祉会「笑庵ことぶき」 広報紙「えんがわ」11月号
「先日、ことぶき福祉会の全職員で勉強会を行いました。理事長の福祉仲間・同士である髙井時男さんを講師にお迎えし、『社会福祉とことぶき園-老人介護を考えるー』という内容で講演して頂きました。髙井さんは理事長他5名の方とともに、今後の老人福祉の在り方について『私たちが考える老人ホーム(中央法規出版)』を1996年に出版され、現在は、滋賀県の特別養護老人ホームでご勤務されています。
 特養に33年務めてこられ、特養を改革されてこられた髙井さんの熱い思いを話していただく中で『情熱だけで飛行機は飛ばない』という一言がとても心に刺さりました。これは“良い介護をしたい、という思いや気持ちだけでは本当に良い介護は出来ない”という意味です。
 介護の正確な知識と技術や物事を正しい視点で捉えることの出来る力などの『土台』がしっかりしており、またそれを実際に実践しなければ『介護をしている』と言えないということなのだと思います。また、高井さんは『知識とは人に語れて初めて知識という。知っているだけでは知識とは言わない』と教えて下さいました。
 笑庵での生活が日々の勉強の場であるとは思いますが、それでは経験だけでしているうわべだけの介護になってしまい、そうではなく福祉ができてきた背景・意味も含め、理論としての介護も学び直し、きちんとした基礎のある土台作りが必要である、と刺激を受けるとともに反省しました。やはり介護は、“単なる人のお世話”として提示される職業ではなく、沢山の分野の学びと日々悩み努力が必要な奥深い職業であると改めて感じました。」
                                  田中 美津江
 
 田中美津枝さんはグループホームとデイサービスを運営していることぶき福祉会の「笑庵ことぶき」の管理者をされている30才代前半の素敵な女性です。ことぶき福祉会が運営される「ことぶき園」は法人の本体施設です。その広報紙「ことぶき新報」は5月15日の一口メモから何回か、故槻谷庸子園長の文章をはじめ再掲させて頂きましたが、このことぶき新報の11月号でも10月18日の私の話について職員の「福原 歩未」さんが書いて下さいました。
 
ことぶき福祉会「ことぶき園」広報紙「ことぶき新報」11月号
 「先日、滋賀県の特別養護老人ホームで人材育成担当されている髙井時男さんのお話しを聴く機会がありました。髙井さんは。当日車で7時間かけて滋賀県から出雲のことぶき園まで足を運んで下さいました。
 髙井さんのお話しの中で印象に残ったのが『介護』と『介助』の違いについてです。例えとして、食事をしながら『この人参おいしいですよ』なんて言葉かけしていないですか?との質問に『あ、それが介助なんだ』と改めて気づくことができました。そんな言葉かけばかりではお年寄りさんは生活に張りがなく毎日の生活も楽しくないと思います。
 そうではなく、先月の新報でもお伝えしたような、いろんな会話ができることが専門職としての『介護』だと考えるので、これからも今まで以上に向上していけるように職員一人ひとりが自己学習をし、日々お年寄りさんとかかわる中で発揮できるようにならなければと思いました。
 髙井さんのお話しを聴いてから、ことぶき園で、お年寄りさんとの会話が今まで以上に増えたように思います。
 これからも日々自分自身を振り返って考えることはもちろん、職員同士がきちんと助言し合える関係をもっと築いていくことが必要だと感じました。
 このことは、前々から理事長からも話があったり、職員間でも話し合ったりしてきましたが、外部の方から改めて聴くことで、今までしてきたことはやはり大切なことだったと気づくことが出来ました。
                                   福原 歩未

高井流 ユニットケア談義 シリーズ23

2012-11-09
一口メモ・ユニットケア談義 シリーズ23「三大介護をユニットケアに」
「滋賀県での三つの特養での体験から」 
 私は「50才になったら生まれ故郷の滋賀県の特養で働きたい」と考えていました。「仕事人生の最後の10年を生まれ故郷で終えたい」と思っていました。そして「喜楽苑すること」を課題としていたのです。
「喜楽苑する」とは「徹底した入居者本位の援助を展開する」ことであり、要介護老人に対して普通の暮らし、当たり前の生活を特養で暮らしてもらうように援助すること、すなわち「ノーマライゼーションを追求する」ことなのです。
そして、その思いが丁度50才になった平成12年4月に実現しました。介護保険導入と同時期でした。それから現在のぽぷらとなみきの法人に赴任するまでの12年間で滋賀の特養3施設で7年、福井市の新型特養で4年、そして、昨年1年間、4度目になりましたが、「きらくえん」の法人に戻り、「きらくえん」が運営する私の原点を創ってくれた尼崎市の「喜楽苑」に19年ぶりに戻り働いて来ました。介護保険が導入された、この12年間を振り返り私の体験を食に関して先ず、述べてみたいと思います。
 
「食事は小グループで、大食堂を分散化することでゆったりした食事風景」
最初に滋賀県に赴任したのは平成7年に公設民営で建設された特養に副施設長として職を得る事が出来ました。その特養は当時は特養の定員50名、ショート20名、併設デイ25名、併設ケアハウス15名、居宅介護支援事業所、介護支援センターがありました。驚いたことにこれらのサービスを利用、入居されているお年寄りが、天井がキリスト教の教会のように異常に高い大食堂に集まり、職員を含めると百数十名以上が一同に会して昼食の食事を摂っていたのです。私は驚くというより、呆れてしまいました。
まさに、その公設民営の特養は職員の労力軽減のためだけを考えた「給食風景」「工場の社員食堂風景」で雑然としていたのです。
食事を終えたお年寄りは直ぐ、それぞれの4人居室に散って行かれました。食事の早い入居者は10分程度の食事時間だったのです。そんな中で最も気の毒に思ったのはデイ利用者の方々です。デイの居場所は大食堂でしたから逃げる場がその大食堂しかなかったのです。赴任後、直ぐにデイサービス利用者は離れた会議室と仏間だった部屋を解放し、特養入居者とショート利用者から分離しました。ケアハウス入居者15名はケアハウスに設けられていたリビング的空間で食事を摂っていただくように指示しました。さらにショート利用者と特養入居者70名の分散化を提案したのです。赴任後1ヶ月も経過していませんでした。
この私の指示、提案はユニット化された「いくの喜楽苑」で学んだ教訓の具現化でした。そしてその施設から2百km離れた兵庫県の銀山の町にある「いくの喜楽苑」に主任や相談員の主要メンバーの視察研修をいくの喜楽苑に依頼し、実行したのです。
分散化することで入居者の変化は直ぐに表れました。食堂で食事を終えられた特養入居者は直ぐには居室に戻らなくなったのです。家庭的な少人数にすることで、「ゆっくりとした食事」「ゆっくりした食後の寛ぎ」が出来るようになったのです。
このことは私が2年間働いた次の施設も同様でした。私が滋賀で働いた3つ目の特養も、同様の取り組みをすることで入居者は「ゆったりとした食事風景」が実現したのです。食事を入居者、利用者に摂っていただく際、「小グループ化する」ということは既存施設でのユニットケア導入では、大きな課題の1つと確信を持って私は今言えます。そういう意味では20044月に開設し出した全室個室、10人生活単位のユニット型特養の出現は利にかなったハードと云えると思います。
 
「食事は選べること」
食事の課題は「選べること」です。「食事時間が選べる」ことです。「おかずを選ぶ事が出来る」ことです。「食べるご飯の分量が選べる」ということは「お代わりが出来る」ことと私は考えています。この「選べる食事」がほとんどの特養や老健施設でも課題とすらなっていない現実は何が原因なのでしょうか。
私が滋賀県で8年前に赴任した特養は赴任直後の50人の入居者は悲惨でした。例えば早朝5時頃から順次始まるオムツ交換後、直ぐに交換を終えた入居者は車椅子に移乗し、居室で待機してもらいます。そしてオムツ交換終了後、大食堂に大移動が始まるのが、早朝6時半です。7時過ぎには全員大食堂に集結し、7時半から始まる配膳を待つ、というパターンでした。最初に交換された入居者は朝食まで2時間以上車椅子で待たされていたのです。配膳された頃には車椅子の上で食卓に顔を乗せて熟睡している入居者の頬を職員が強く叩いたり、熱い蒸しタオルでいきなり顔を拭き目覚めさせ、職員同士が世間話をしながら介助している光景を見て唖然としたことを思い出します。私が介護職員をしていた措置の時代でもなかった光景でした。さらにはご飯の上に粉薬を「ふりかけ」のようにばら撒いている職員がいたのです。当時、私の25年の特養で過ごした歴史にはそんな光景はありませんでした。平成16年1月のことでした。介護保険が始まって4年が過ぎていました。この施設では孤立化させられていた良識のある職員を支えることで、わずか3ヶ月ほどで「喜楽苑化」できたのです。要介護の認知症の入居者を人として見ることの出来ない職員や職員本位の業務をする職員は次々と退職していったのです。

社会福祉法人みのり
特別養護老人ホームぽぷら
〒525-0028

滋賀県草津市上笠1丁目1-22
TEL.077-563-0030
FAX.077-563-7900

特別養護老人ホーム
ショートステイ
ケアハウス

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地域密着型小規模

特別養護老人ホームなみき

〒525-0028

滋賀県草津市上笠1丁目1-16
TEL:077-563-6600
FAX:077-563-6602

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デイサービスセンター湯楽里

〒525-0028

草津市上笠1丁目9-11

TEL:077-567-2688

FAX:077-562-0412

草津市上笠居宅介護支援事業所

TEL:077-565-0293

FAX:077-565-0412

松原地域包括支援センター

TEL:077-561-8147

FAX:077-561-9528

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